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脳内垂れ流しブロガー ななこです。

 

今回の3000文字チャレンジは、「井戸」です。

 

井戸といえば、田舎のおばあちゃんの家に井戸があると、小さい頃に母が教えてくれた。

 

田舎のおばあちゃんの家は、母の実家である。

 

おばあちゃんの家と言っているが、正確にはおじいちゃんもいた。

だが、私が小学校1年のときに亡くなった。

おじいちゃんの記憶と言ってもそれ以前のものであり、お盆休みにしか行ったことがない。

だから、覚えていることといえば、ちゃぶ台にあった飴を食べようとして、ちょっと食べ過ぎだと注意されたことや、畑の近くの土手で野蒜を摘んだことくらい。

 

一番覚えているとしたら、おじいちゃんの葬式。

おばあちゃんの家には、たくさんの人が弔問に訪れ、親族一同並んで出迎えるのだが、来たお客さんに挨拶をしていた。

 

一番前に並んでいた従兄(今は従兄がこの家を継いでいる)がお辞儀をするたびに、ネクタイがスーツからペタッと落ち、後ろに並んでいた私と同い年の従妹二人でこそこそと笑っていたのは、今も忘れない。

 

あの時はわからなかったが、畳に正座して、都度手をついてお辞儀していてネクタイが落ちるのだから、恐らくネクタイピンがなかったのだろう。

 

お辞儀の度に毎回ネクタイが落ちては直し、ネクタイが落ちては直し。

ただただお辞儀をするだけの退屈な時間としか感じられなかったから、ネクタイが落ちているのを見て時間をやり過ごすしかなかった。

 

もう順番はよく覚えていない。

火葬場では、棺がいよいよ釜に入るというときに母たちが泣いていた。

私にとっては、おじいちゃんが死んだということは理解できたが悲しいという気持ちはなかった。

 

火葬が終わるのを待っている間は、子供にとって居心地が悪い。

遊んでいいわけではなく、静かに待たなければならない。

当然、そこでは大人たちがお茶を飲んだり話をしたりしているわけだが、子供にとってお菓子だけでは間が持たない。

恐らく、1時間程度のことではあると思うのだが、その1時間が3時間以上にも感じるのだ。

 

さらには、知らない親戚、見たことがない親戚だらけである。

母が「〇〇のおじさん」といって紹介してくれるのだが、〇〇がわからない。ちなみに〇〇はその人が住んでいる地区の名前だ。

 

おじさんも「大きくなったなぁ」と言ってくれるのだが、いつ会ったのかも覚えていないくらいである。

 

おじいちゃんが亡くなってからも、お盆休みは毎年のように田舎へ遊びに行った。

従姉妹も私が行くときには遊びに来てくれて、よく3人で遊んでいた。

 

畑で収穫したトウモロコシのヒゲを取って、みんなで白いヒゲをたらしておじいちゃんになってみたり。

昼間から花火をやってみたり。

昼間の花火はパラシュートを飛ばすので、それを追いかけるのが楽しかった。

近くの「川」という名前の用水路に入って水遊びをしてみたり。

 

遊ぶのも楽しかったが、家の周りを散策するのも楽しかった。

井戸のことをすっかり忘れていたが、この井戸も家の周りを散策するついでにのぞいてみた。

 

井戸はおばあちゃんの家のあまり人が行かないような場所。実際には外風呂の奥にひっそりとある。

しかも、ここには鶏小屋もあって、鶏小屋の前に井戸があった。

鶏小屋も、今は鶏はいない。昔飼っていたそうだ。

卵が貴重だった時代はとても重宝していたらしい。

牛も飼っていたとかで、畑を耕すのにはなくてはならない存在だったようだ。

それも昔の話で、牛をどこで飼っていたのか形跡すらなかった。

使われなくなった鶏小屋の前の井戸は、かつて都会にあったような昔ながらの井戸でもなく、江戸時代の資料で見るようなものでもなかった。

確かに石は組んであったが、つるべはないし、ポンプもない。

あるのは、井戸にトタンの蓋がしてあるだけ。

井戸をのぞいてみると、水面は2メートルは先だろうか。よどんで埃だらけの水面しかなかった。

 

水道が通ってからは井戸の出番はないのだろう。

使っていない井戸には水を汲むための桶すらなかった。

 

私が遊びに行ったときには、すでに水道しか使っていなかった。

ちなみに下水はこの時点で通っていないため、トイレは全て汲み取り式である。

 

 住所に「群」と「村」と「字」までついてしまうのだから、それは当たり前のことだったのかもしれない。

しかし、従姉妹が住んでいる家もやはり汲み取り式だった。同じ県内で市であったが。

そういえば、都内に住んでいる従兄の家も汲み取り式。もしかしたら、この時は、まだ下水道普及率がそれほどでもなかったのかもしれない。

 

やがて、私が大きくなるにつれて、田舎へ遊びに行くこともなくなり、従姉妹や都内の従兄の家にも遊びに行くことがなくなった。

 

再び田舎へ行くのは、おばあちゃんが亡くなったときだった。

この時も、まだおばあちゃんの家は当時のままだった。トイレも相変わらず。むしろトイレというよりは、便所というほうが名称はふさわしいかもしれない。

私もすでに独立していて、仕事もあったためお通夜しか出られず、近隣の状況もわからないまま帰るしかなかった。

ただ唯一変わったといえば、おばあちゃんの家の前の道路の交通量だった。

昔は、私が一人で道路のど真ん中を歩いていても車が来ることなんか滅多になかったのだが、久しぶりに行ったときは、これでもかというくらい車が通りすぎることが多かった。

高速道路の出口が近くにできたのか、近くの道路を拡幅したとかで交通量が多くなったらしい。

 

信号もない道で、おばあちゃんの家はカーブしたところにあるので、見通しが悪くて大変らしかった。

従兄が車の通りが多すぎて、出庫するのが大変だと嘆いていたのをよく覚えている。

 

おばあちゃんのお通夜でもおじいちゃんのお葬式で見た親戚がたくさんいたのだけど、やっぱり誰か思い出せない。

ここでもまた「だいぶ見ないうちにすっかり大きくなって」だった。

もういい大人だったけどね。

 

母は誰が誰だかわかっているようだった。そりゃそうだ。自分が小さい頃から知っている親戚だしね。

私は祖父方も祖母方もそれぞれの兄弟関係とかがわからなくて、そのまた子供となると、もっとわからなかった。

 

いい加減年を取ると、結婚式に呼ばれるよりも不祝儀での出番が多くなる。

 

この後田舎へ行ったのは、伯父の葬式で。

家に従兄から電話がかかってきたときから、なんとなくいやだなと思っていたが、やっぱりだった。

だいたい従兄から直接電話が来ることなんて、それくらいしか理由がない。

通夜はどうするか聞かれたが、さすがに難しかったので朝一番で向かうことにした。

葬儀場までの道はどうするかと聞くが、適当にバスに乗って間に合うようにするとしか言いようがなかった。

「さすが都会もんは違うな~」と言われたのだが、実際行くまでの道程をこの時は舐めきっていた。

 

結局従兄が、従姉にお願いして、東京に住んでいる従妹(同い年)と一緒に車に乗せてもらえるよう頼んでくれると。

 

調べてみると火葬場はほぼ山の中らしかった。近くにバス停があったようだが、そこからはよくわからない道を歩いていかないといけない。

当日従姉の車に乗せてもらったので、迷うことなく火葬場についたが、バスで行こうなどとしなくてよかった。

田舎は距離のスケールが違いすぎる。普段徒歩でしか移動しない私にとって、田舎は徒歩で歩くには危険すぎた。

 

田舎の葬式は、他の風習と違って火葬後にお経をあげるというとても珍しい風習だ。

どうも、他の地域でも一般的でないらしく、この地方だけのものらしい。

おじいちゃんとのときはよく覚えていなくて、おばあちゃんのときもお通夜だけだったため、全く知らなかった。

それを知らなかったら、恐らく葬儀が始まる時間に行ったら伯父の顔を見ることなく終わっていただろう。

 

そういうわけで、私は朝早い新幹線に乗り、そのまま火葬場へ行き、最後に顔を見ることができた。

火葬場に行ったときは、すでに準備が終わっていたので、どうもぎりぎりだったよう。

火葬場はおじいちゃんのときと同じ火葬場だったと聞くのだが、広さといい待合といい、まるで別の場所のようだった。

結局このときは、おばあちゃんの家に行くことはなかった。葬儀は葬祭ホールで行ったからである。

 

最近は家ではやらずに葬祭ホールを使うのだそうだ。

このときは、近隣の住人や農協の関係者など、たくさんの人も参列していた。

葬儀後は親族だけでの会食。

ここでもやっぱり、自分が知っている人だけしかわからない。

会食も、自由席ではなく席次がある。

そのため、祭壇から順番に並んで座るのだが、席次があるため従姉妹とは遠い場所に。

兄弟の順番で席次が上座から決められているのだが、私の両隣は伯母と叔父という並び。

従姉妹は叔父より下座になるので、遠すぎるのだ。

 

さらには、喪主は最も下手になるので、従兄弟とその子供とも遠くなってしまい、この会食の時間何を話せばいいのか悩んでしまった。

 

こんな時、母がいたほうが楽だろうなと思うがそれはもう仕方ない。

いたらいたで面倒だろうし、いないならいないで大変なのだ。

 

その後再び行くのは、伯父の3回忌のときだった。

この時はホール借りてとか家ではなく、お墓で直接の読経。

この時も従姉妹と待ち合わせして、直接お寺へ。

お寺に行くのはおじいちゃんの葬式以来。

おじいちゃんのときは、伯父さんが木でできた杭のような形の墓を掘った穴に立てていたのを覚えている。

 

お寺も森の中のようなところ。

道もあるわけではなく、ただただ土。そしてお墓。

所々土が盛り上がっている箇所があり、従妹が「そこ骨が埋まっている土まんじゅうだからよけたほうがいいよ」って言ってたな。

 

2回目に来たときには、そんなものはないのか整備されたのか、墓の中でも道っぽくは全体が整理されていたけれど。

 

法事の後は、会食へ。これは葬儀ホールでだった。

これが一番困る。

また席次があるから。

今回は東京からも従兄が来てくれたのもあり、伯母もいてくれたので比較的話はできたのが幸いだった。

相変わらず、従姉妹たちは遠いままだ。そして対面に座っている親戚は、相変わらず誰かわからない。

念のため席次表は写真にとっておいたものの、わからないままだった。

わかったとしても、おじいちゃんの葬式に来ていた「〇〇のおじさん」くらいだ。

その〇〇のおじさんは、私と同じ列にいるので、そっち側なのだろう。

 

こういうときに、母に聞いておけばよかったんだろうけれど、伯父の葬式のときにはすでに母はいなかったので、どうしようもない。今も私がこの家の代表として出なくてはならないのだ。

 

今回も会食だけで解散になるのかと思ったら、叔父がおばあちゃんの家まで行こうかと誘ってくれた。

もうずっと行ってないおばあちゃんの家。

本当なら、前に行ったときにも行きたかったのだが、この機会にと行くことにした。

 

おばあちゃんの家は相変わらずだった。見た目は何も変わっていなかった。

そして従兄が嘆いていた道路だが、交通量はあまり変わらない。

 

変わったことと言えば、敷地の中に新しく家を建てたこと。

伯母の介護のために介護用のベッドを置いたり介護サービスに通いやすくするので、バリアフリーの家を新築していた。

 

 

その新しい家は、外風呂の小屋をつぶしてできたものだった。

新しく家を作るために、井戸も埋めたらしい。

埋めるときには、御祓いをしたと従兄が言っていた。

 

驚いたのは新築の家のトイレが水洗になっていたこと。

下水が通ったのかは不明だが、家にバキュームカーのホースは入れなくて済みそうだった。

そういえば、従姉妹の家も水洗になっていた。年々整備されてきたのだろうけど。

 

新築の家に上がらせてもらい、2階から古い家を眺めた。

前の家は平屋だ。

屋根瓦が一部雪崩れたかのように少し崩れていた。

 

外にはかつて使っていたと思われる風呂が置かれていた。ただ、この風呂は、どうも前の風呂小屋を壊してできたものではなさそうだった。

 

どこから持ってきたのか、もっと前からあったのか。

田舎はこういうよくわからないものが放置されていることが多く、従妹と「これどこから来たやつだ」と笑いあう。

いい加減おばさんなんだけどさ。

得体の知れないものを面白がるのは、いくつになっても変わらないのかもしれない。

 

時の流れは残酷だ。

新しいものがやってくると同時に古いものもなくしてしまう。

それがいいか悪いかはわからない。

新しくなってありがたいこともあれば、なくしてしまって戻らないものもある。

 

次におばあちゃんの家に行くときには、どんな景色が見えるのだろうか。