振り返ると言葉をなくしてしまう


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脳内垂れ流しブロガー ななこです。

 

 

 

さくらですでにトリッキーな手法でただの趣味全開な記事を書きましたが、やーさん(@ohokamudumi )のブログで過去に好きだったものを思い出しまして、2回目を書きます。

 

これも結局趣味ですが、桜と春で思い出したのをきっかけに忘備録的にまとめました。


桜前線、真っ盛り~!」

 

1987年4月6日によみうりランドEASTで行われたC-C-Bコンサートツアー、TOUCH AND GOの最終日。

 

関口誠人が脱退する日のコンサートの幕は、リーダー渡辺英樹のその一言で始まったと記憶している。

 

かなり前のことであり、確か当時のラジオでも中身が一部放送されたので、恐らくは違わないとは思うけど。

 

始業式が始まる前のことで、行きたかったけど、チケットが取れずラジオの中身でしか知ることができなかった。

 

春の暖かい日に、恐らく桜も咲いてたと思う。

彼が一人いなくなる寂しさを吹き飛ばすために、「桜前線、真っ盛り~!」と華々しく始めたのかもしれない。

 

ラジオが放送されて、一人で聞きながら泣いていた。
別に解散したわけではないのに。
もう5人でやることはないのだと。
あのカラーではなくなるのだと。

 

ラジオを聴きながら、ずっと涙が止まらなかった。

 

そして、4人になってからようやく初めて本人たちをコンサートで見ることができた。


5人ではないC-C-B
1人抜けたことで、全く音楽の方向とか色とか雰囲気が変わったと思う。

 

それは寂しいことでもあったけど、応援する気持ちに変わりはなかった。

もちろん、ソロで活躍していた関口くんのことも動向は追っていたし、アルバムが出たら購入していた。

 

一人になっても元C-C-Bは変わらないから。

 

その後4人になってからも活動は変わることなく続き、私はようやくコンサートへ行くことができるようになった。

 

あの当時は抽選とかではなく、電話でチケットを取る方法だった。


いかに販売開始時間前にスタンバイしてダイヤルを回し、話中だったらリダイヤルを何度もしては、誰かの電話が切れる瞬間のチャンスを狙っていた。

 

そうして何とかチケットを獲得してはコンサートに足を運んでいたが、やがてそれも終わりを迎える。

 

今度は1989年10月。
これは本当の解散だった。


何でも解散を伝えたのはテレビだったらしいけど、どっちが先かはよくわからない。


私が聞いたのは、2daysコンサートの時。
1日目でその話が出たとかで、翌日確かラジオの放送を急に生にしてやってたような記憶をしている。

 

結局そのあとでコンサートに行くわけで、すでに同じMCを後から聞かされるのだけど。

 

いつかは解散するだろうというのと、ちらほら噂もあったのとで。


そこまでショックだったかというと、どうもよく覚えていない。


ただ、これから向かうコンサートで話される内容を事前に知ってしまうというのは、なんとなくつまらない印象もあった。

 

本人たちの壮大なネタバレなんだから。

 

解散コンサート。
本人たちが最もやりたかった武道館で。


通常のコンサートで使ったことがないのに、解散時に使うとは皮肉な話。

 

この時のコンサートも放送されたとも聞くのだけど、私は見ていない。
コンサートも行きたいと思ったけど、チケットを取ることすらしなかった。

 

確かちょうど試験期間中だったような気がしなくもない。

 

その後にビデオも発売されたようだけど、結局それも入手どころかレンタルすらしなかった。

 

本当は気になっていたのだけど。

 

ようやく最近になってyoutubeにアップされているのを見て、なんとなく当時の状況がどうだったか把握している。

 

彼らが解散して新しい音楽が発表されることもなくなった。

当時は本当に一筋だった。

もちろん、他の音楽も聞いていたけれど。


多分解散してから、他のアーティストを聞くのが加速したかもしれない。

 

それでもやっぱり原点は原点。
彼らを好きなことに変わりはなかった。

 

C-C-Bを聞きながらも、他のアーティストも聞いていたあの頃。

高校を卒業してからしばらくして、私の好きな英樹が表で活動し始めたことを知った。

 

まだ、当時はぴあという情報誌があったころ。
活動を再開したらしいという話が出て、毎週のようにライブハウスの情報をチェックしていた。


何度もチェックし続けて、ようやくライブハウス出演の情報があるのを知る。

あの時のチケットもまだぴあ経由だったような気がする。

 

しばらく見ていなかった英樹。
ずっと見たかった。

 

解散してからの活動は以前のような軽い感じの曲ではなかった。

バンドでやると、どうしてもそのバンドのイメージがあるから、いくら自分がやりたくても没になる曲もたくさんあるのだという。

 

むしろ、解散してからのほうが私は好きだった。

学生時代のときは、そうそう行けないにしても予定とお金が工面できたらライブハウスに足を運ぶようにしていた。

 

メジャーだった時代は大きなホールでものすごく遠くにしか見えない本人が、ライブハウスで目と鼻の先にいる。

 

あれほどうれしかったことはなかった。

 

華々しく活動していたときのほうが、商業的価値は高かっただろうし、曲もたくさんヒットしていたのに。

 

自分の好きな曲だけをやり、100人も入ればいっぱいになるスペースで、アマチュアバンドみたいな活動と変わらないのに、すぐ目の前にいることのほうが希少価値が高かった。

ある時は、ライブハウスの控室から出てきて観客席を抜けていった。


目の前を通り過ぎていったので、こんなに近くていいんだろうかと思ったこともある。


ライブハウスに足を運ぶのは社会人になってからも変わらなかった。

ただ、頻繁に行けたのは学生のときのほうだった。


社会人になってお金があっても時間が取れないなんてことはよくあった。
行きたいし行けるお金もあるけど、時間だけが合わないっていう。

 

そうこうしているうちに、インターネットが普及しはじめ、英樹も自分のサイトを管理者に任せながら情報発信するようになった。

 

この時はまだ限られた人しか見てないこともあり、本人の娘さんの写真とかPTAがどうのとかって日常の話も書いてくれていた。

 

いつの間にか解散してから10年が経って、情報入手が誰でもしやすくなったこともあり、再結成でテレビ番組に出たり、何かの企画でもテレビに出たりと露出することで、本人たちの活動も認知されることも多数。

 

そのおかげか、ライブの回数が増えたり、全国へライブに行ったりと気が付いたら、元のファンがまた戻ってきてくれているような状況になっていた。

 

私はその時には、もうライブに行くことがなかった。
よくある子供ができると好きなことができないパターンというやつ。

 

いや、行ってもよかったのかもしれない。
ただ、夜に何時間も子供を置いて出てしまうという状況をあまりやりたくなかったのだ。

 

全くやらなかったわけではない。
友達との付き合いもあるから、多少はそういう時間を持っていたけれども。
自分の趣味で夜に家を空けることができなかっただけで。

 

もちろん、マイナー活動中のCDは全部持っていたし、時々ネットで新しいのが販売されれば購入していたりもしたけど。

 

子供の手が離れてしまえば、また見に行ける。
その時見に行けばいいやと。

 

ライブハウスに行くことはできなくても、英樹の実家には行ってきた。
ファンの間では有名な、あの米屋に。


実は英樹の実家がある場所というのが、結婚後に購入した家から行ける範囲にあったから。

 

それでもすぐに行ったのではなく、子供を連れてのお出かけで食事するのに、近くまで行くのでそのついでに行ってみるという、なんとも動機が薄い理由。

引っ越してから何年か越しっていうのが、これまたやる気のなさが見えてしまう。

 

ライブにはいかず、日中行ったところで本人には会えないのはわかってても行ってしまうっていう、よくわからないことをしていたかもいしれない。

 

結局その後もまだライブには行かず、実家の米屋さんが年齢を理由に閉店することを知り、ぎりぎりになってもう1度子供を連れて行ってしまったけど。

 

米屋といっても米も売っているのだけれど、どちらかというとおにぎり屋さん。

 

前回訪問のときはおにぎりを買えなかったので、今度こそはと思い早めに家を出て、ようやくおにぎりを買うことができた。

 

それでもまだ私はライブに行っていなかった。
もう少し子供が大きくなってから行けばいいやと思っていたから。

 

そんな感じで日々過ぎていき、英樹のブログを時々読みながら、全国でやってるライブの数の多さに時代も変わったなと感じていた。

 

都内近郊だけでやっていたのが、まさかここまで広がるとは思っていなかったから。

いつか行けばいいや。

そう思っていた。ずっと。

活動が広がって、また何回でもチャンスがあるからと。

 

でも、それはもう二度とかなわない。

 

2015年6月にいきなり倒れ、そのまま救急搬送。


実はこの時点でC-C-Bでのライブツアーが始まる予定だったのだけど、それも中止。

 

このツアー、久しぶりに4人集まるからいける人いいな~なんて思っていたのだけど。

それでも手術が無事終了していつかまた回復してくれたらと願っていた。

別に今死んだわけじゃないって。

 

でも、奇跡は起きなかった。

その1か月後に鬼籍に入った。

追悼ライブもあったけど、やっぱり行けなかった。

結局その後、ライブ収録したDVDだけ購入した。

他にも倒れる前に発表されていた中国でのライブ映像も購入した。

 

発表されたときは買う予定がなかったが、ライブにすら行けてないのに見ることができなくなったらもっと後悔するだろうと。

 

追悼ライブのDVDは特典がついていて、ポストカードなどのセットと、英樹本人が過去に来ていた衣装の一部。

 

ご家族の方がやってくれたのか、スタッフが対応したのかはわからないが、どれほどの思いでこれをやってくれたのだろうか。

 

いつか行けばいいやなんて適当なことを言ってたら、もう映像でしか会うことができなくなっていた。

 

確か、あの時のライブでもう55歳だからと、「ゴーゴーヒデキ」とかってタイトルつけて何かやってたような気がする。

 

多分、60歳になったら「ヒデキ、還暦!」とかってやるんだろうなと想像はしていたけど。

 

それができなかった。

 

鬼籍に入った直後にwikipediaを見たら、年齢のところが「55歳没」となっていて、もうここでも時間を止められてしまったんだと。

 

ライブハウスに行っていたころ、こんな活動がずっと続いたら、60歳でもやってただろうなってずっと思っていたのに。

 

いつか行けばいいやでそのままにしていたら、置いて行かれたのは私のほうだった。

 

止まった時間軸の中で、ずっとそんなことを思っている。